手考足思

日々かんじることを綴ったもの

えりかさんのこと

安曇野で野菜を作っている女性に会ってきた。愛想がよく、人に好かれるタイプの人だった。だから周りには助けてくれる人や支援者が数人いるようだった。

それでも、この地で女一人で百姓をやるのは苦労する。身体も心もボロボロだと、今年は畑を縮小すると、そんなことを感じさせない、力強く明るい声で言った。

安曇野は、地区にもよるけれど新規就農には必ずしも良い土地とは言えないのかも、という印象を今日話を聞いていて思った。というか、長野県内の別のエリアでは例えば助成金が出たり、新規就農者への支援制度や有機仲間が多くいたりするところもあるから、むしろそっちに行った方がよいのではないかという思いもある。

生活の場としての安曇野を優先するのか?有機農業に適した土地を優先するのか?

そしてまた、女としての生き方も考えさせられるところがあった。私は今まで、結婚して子どもを産んで子育てしながら家庭を中心に生活するという道をただの一度も考えたことがなかった。でも、そういう生き方も自分の人生の選択肢の一つとしてはある、ということを否定しないで見てみようと思った。

販路しかり、栽培作物しかり、決めるべきことがたくさんある。今後への楽しみや期待と同時に、現実的に考えて行動を起こしていかなきゃ。

知らないし、できないこと

先週から長野県のある財団法人で8ヶ月間の自然農法研修に参加している。
今週から少しずつ作業が始まり、昨日は用水路の溝掃除、今日は育苗用のビニールハウスの張り替えをした。

私の父は米農家だったが、私が幼い頃に両親が離婚し私は母についていったため、父が仕事をしている姿は残念ながらほとんど記憶にない。覚えているのは父パチンコから帰ってこず母激怒という構図。
ただ、においの記憶だけがやたらあることに研修が始まってから気がついた。

ハウスの中の焼けたような土ぼこりのにおい。
ヤニのしみついた軽トラのにおい。
ライスセンターの米ぬかと、米をいれる紙袋のにおい。
お父さんの泥だらけの作業着のにおい。

でも、それだけといえばそれだけで、私は人生の多くの時間を農業が営まれている環境の外で過ごしてきた。だからおそらく多くの同年代、もしくは東京でサラリーマンをしている人と同じように、農業は自分にとって決して心理的距離が近いものではなかった(実際、研修が始まった今も、本格的に就農するかどうかは決めていない)。

ただ、今の私が何よりも面白みを感じているのは、農業には自分が「知らないし、できない」ということが山ほどあるという事実、そして、高校・大学時代の選択が巡り巡っていま、自分の糧になろうとしている実感である。

農業は一般的にはpracticalといえるものだけれど、私がお世話になっているのは研究機関であり、生態系や植物生理といったscienceの講義もある。ここが特に好ましい。
なぜなら、科学の裏付けがあることで、自然農法や有機農法につきまとう思想的な要素を出来る限り排除できるから。有機だったら諸手を上げてすべてよしみたいな盲目的な態度は好きじゃないし、宇宙の循環がどうのこうのみたいな話(大宇宙理論とでも名付けよう)も今のところ私は必要としていないので、近代科学を論拠として自然農法を学ぶのが、今の私にはいちばんすっと腹落ちする。

そういうような心持ちで日々過ごしているので、今になってやっと、光合成の化学式やカルビン・ベンソン回路を学んだ意味を実感している。仮に私が大学で植物遺伝学を専攻していなかったとしたら(さらに遡って高校で苦手な理系に進むという選択をしていなかったら)、多分こういう姿勢にはなっていなかったと思う。

また、今は知らないこと、できないことが山ほどあるので、1つ作業を行うにつけ「なぜそのようにするのか?」「こういうふうにする意味はどこにあるんだろう?」という疑問がいくつも湧いてくる。これはおそらく、前職でコンサルチームにいたことが大きく影響している。元々の素養もあるかもしれないが、コンサルチームに入ってから、あらゆることにおいて「意味」を考えるようになった。意味にとらわれるあまり身動きできなくなることもあって、先輩に考え過ぎと指摘されたこともあるけれど。

こうして見ると、途中さまざまに枝分かれしながらも、すべての経験がつながっているように思う(それでいくと大宇宙理論もうなづけるところはある)。
そこに更に、生まれ持ったものや感性など、自分の持てるすべての要素をつなげて、他の誰でもない、私自身の生き方をつくっていきたい。

打算のないやさしさ

打算のないやさしさをもつ友人がいる。
 
以前勤めていた会社の同僚(シンガポール人)で、彼に初めて会ったときのことはもうよく覚えていないけれど、繰り返し思い出す一つの場面がある。
 
出張で訪れた深圳のある巨大工場の敷地を二人で歩いていたときのこと。
喉が渇いたので水を買いたいと言うと、彼は売店でミネラルウォーターを買い、ふたを開けてわたしに手渡してくれた。
 
彼がその動作をごく自然にやっていることに、わたしはとてもびっくりした。
仮にわたしがふたを開けるのにてこずっていたのであれば、手を差し伸べてくれる人も多かろうが、彼は最初からふたを開けて飲みやすいようにして渡してくれたのだ。
 
些細といえば些細なこの出来事の、一体何に自分はそんなにも心を動かされたのかを考えてみると、たぶん、そこにいやらしさや打算めいたものが微塵も感じられなかったことだろうと思う。
ふたを開けて渡すという動作があまりに自然(無意識的)で、ペットボトルのふたを開けるのは女性に対してだからかもしれないけれど、でもそれは一つの例であって、相手が誰であってもきっとそのように気を使うのだろうという再現性を感じたから。
 
折に触れて彼にこの話をするのだけれど、そんなの全然普通だよ(取るに足らない)と言う。
でもわたしにとってそれは特別なことだ。
 
だって、自分が気に入った人にやさしくするのは普通だけれど、誰に対しても同じようにやさしくあるというのは、誰にでもできることではないから。
彼とは一緒に仕事をしていく中で仲良くなっていったけれど、あのときはまだ、お互いの関係性はそこまで出来ていなかった頃だと思う。
 
彼と一緒にいると、こういう気遣いにあちこちで出くわす。自分の気持ちよりも、相手の気持ちを優先していると感じる。
それを「優柔不断」とか「頼りない」とかって感じる人もいようが、わたしにとっては尊敬に値する。

最近思ったこと

「嫌だったらバックレ可」

ある飲食店の壁に、バイトの募集が書いてあった。いろいろ条件が並ぶ中、いちばん下に、嫌だったらバックレ可と書いてある。

これをみて、なんだかいや〜な気持ちになった。

嫌だったらバックレ可って、店側にそもそもスタッフを根付かせようとする気がないように感じる。Aくんが来ようとBさんが来ようと、店にとってはどっちだっていいですよと言われているような感じ。そんな環境で働くのは、居心地が良いとは思えない。だからバックレが起きるのでは…?などと思ってしまう。

自分が店をやるときは、そこで働いてもらう全員で店をつくっていきたい。バックレたいと思わせる店になんて絶対したくない。

 

「やることがない辛さと、やることがありすぎる辛さ」

勤めている会社を辞めることにした。引き継ぎもほぼ終わり、今はやることがなく、完全に時間を持て余している。これはとてもつらい。

ここでまた、なぜつらいのかを考えてみると、私にはやることがない⇨私は価値を生み出さない⇨私は誰の役にも立っていない

つらさの正体は、この無力感にあることに気付いた。

一方で、いまの会社にいる社員は皆とてもよく働く。一人がやるべき業務量はとても多いけれど、みんなきちんとこなそうとする。

わたしはそのありすぎるTODOもしんどいと感じていたけれど、それは恐らく、意味を見出せないことが多かったからだと思う。少し前に先輩に、お前は意味を求めすぎるきらいがあると言われたことがある。振り返ってみると、その時のわたしはナゼに囚われすぎて動けなくなっていたからそれを指摘したかったのだと思う。

でも、TODOがめちゃめちゃあったとしても、その先に誰かの顔が見えたらそのときは、頑張れると思う。わたしは誰かに必要とされたい。

でももしかすると、一つひとつには意味を見出せないようなごく小さなTODOばかりなのかもしれない。小さいからといって取り合わないでいたら、必要とされるもくそもないような気がする。

そう考えると、わたしにとって大事なのは、こうなりたい、こうありたいという理想像なのだと気付く。理想像に近づくためという意味を見出せば、目の前の事物ががぜん生き生きと見えてくる。

2017年に向けて

毎年のことだが、年末に一年を振り返るとき、今年は新しい経験をたくさんしたなぁと思う。人と比べてどうかは分からないけれど、自分なりにはたくさんした、と思う。

 

一つは銀座で働き始めたこと。この出来事の意味は、お金を稼ぐという側面よりも、お金の価値を考えるきっかけになったという点で良かった。

それから、自分の女としての価値を認識することができた。決して万人に受ける訳ではないけれど、どこかに通じるものを感じて気に入ってくださる方もいるのだということが分かって自信につながった。

 

二つ目は人との出会い。同い年のDJ、女優を目指している女の子、バーの店員、ワークショップで同じチームになった人、それから近所の飲み屋でも父親世代の飲み友達ができた。

大学に行って卒業して企業に勤めて…という生き方がわたしを含め周りにいる人の中では多数派を占めているけれど、こうして偶然知り合った人たちは必ずしもそうではない人もいて、だから話が新鮮で面白い。

皆、やりたいことをやって生きているのが刺激になる。

 

三つ目は自然農法を学ぼうと決めたこと。バンタンで料理を学んでいるときから興味の矛先は素材に向きつつあったが、夏休みの岡山旅行で見たもの、出会った人によって決意が固まった。農をやらずにわたしのやりたい食は出来ない、と。

ちょっと話が逸れるが、地方への興味はドチャベンから始まったなぁと思う。ビジネスプランのピッチが終わってからはすっかり、元のサラリーマン生活に戻ってしまっていたけれど、四月に異動があり今までと少し違う仕事をしはじめてから、これから先もこの会社で働き続けることを考え始めた。本質的に物事を考えようとする人には向いている部署だと先輩は言っていて、たしかにその通りだと思いつつも、正直に言えばわたしには荷が重いとも感じていた。

というのも、コンサルタントを名乗るには圧倒的に経験が足らないし、ここが一番大事なポイントだと思うけど、ここで努力を積んでコンサルタントになりたいとも思っていないことに気がついたから。

じゃあ何をやろうかなってことで岡山に旅に出ることにした。そうして美作で、西粟倉で、智頭で、蒜山で、わたしもこうありたい、こんなことができたら素敵だな〜と思う人やものに出会った。

 

そして新年を迎えた。

この一年は学びの年になる。収入もなくなるけれど、長い人生の一年くらい、そんな経験があっても良いかなと思っている。

研修中は自然農法のやり方を学ぶだけでなく、出口戦略も考えたい。自然農産物の流通方法や、素材を最大限生かした料理、調理法といった、生産から消費者の手に渡るところまでのプロセスを一つひとつ検めながらきちんと自分の頭で考えてデザインしていきたい。

 

ルワンダからの手紙

2年くらい前から、ワールドビジョンのチャイルドスポンサーをやっている。

わたしはルワンダの男の子を支援していて、定期的にグリーティングカードや成長報告が届く。

先週、彼からクリスマスカードが届いた。そこには実に控えめな車の絵が描かれていた。

わたしは彼のその控えめな絵が好きだ。この前の成長報告には、逆さのアイスクリームが描かれていた。一体なぜその位置から描いたのか、どんな気持ちで描いたのか、そういうことは想像に任せるしかない。

逆さのアイスクリームにせよ、車にせよ、彼の絵の線はとても弱々しい。弱々しいのだけれど、今回送られてきた車の絵は、アイスクリームよりも格段に、複雑に描かれていた。車の形、ドアや窓といったパーツをきちんと捉えて描いてあった。

そこに彼の成長を感じて、とてもうれしく思った。

 

夕方のニュースで、シリアの戦闘の真っ只中で暮らす子供たちの映像をみた。路上にはイスラム国の兵士の遺体が放置されていた。しかも、首が落とされた状態で。こんな環境で子供たちが育ち価値観が形成されるというのは、とてつもなく恐ろしいことだと思う。

死があまりにも身近すぎる。日本は(特に都会では)死を遠くに遠くに追いやって、歪さを感じることもあるが、それにしても、シリアは死が必要以上にありふれている。

 

シリアの今、ルワンダの今を知ったからといって、一個人にどうにか出来ることはないかもしれないけれど、それでもまず知ること、そして考えることは、遠い日本にいるからこそわたしはやっていきたいと思う。

カレーライスを一から作る

「カレーライスを一から作る」をみた。

映画そのものはもちろん面白かったのだけれど、それ以上にわたしが興味をもったのは、シアターが満席だったということ。客層は小学生からお年寄りまでさまざまだった。

 

上映終了後のパネルトークで関野さんに、学生さんたちはどのような気づきを得ていたのか?と質問すると、映画の中に出てくる一人の学生の変化を取り上げて、言葉丁寧に答えてくださったあと、「気づきは学生によっていろいろあるけれど、カレーライスを一から作ることやカヌー作りの意味は、”時代や場所”によるという側面がある。例えばここがアフリカであればカヌー作りなんてみんな日常的にやっていることでめずらしくもなんともない。カレー作りだって、少し前の時代であれば野菜を栽培したり、鶏をしめるなんてことはみんな当たり前にやっていたことだから、こんなドキュメンタリー作ったところで馬鹿じゃないかということになる。」

 

それでも昨日シアターは満員だった。多くの人が興味をもつその背景には、たぶん、野菜栽培も鶏を屠るのも塩を精製するのも器をつくるのも、自分たちの手でこしらえるという体験は、きっと今の日本の若い人にとってはすべてが未知だから。

 

この数ヶ月、自分にとって生きるとはどういうことなのかを考えていて、自分に必要なものを自分の手でこしらえることができること、と以前のエントリに書いた。

そのときは、それは自分個人にとっての意味だったのだけれど、昨日シアターが満員だったのを見て、もしかしたらこれは自分にとっても、また他の人にとっても、意味のあることなのではないかということに気づいた。

 

小林りんさんが言っていた「個人の視点と社会の視点の接点を求めるような問いの立て方」が、できるような気がする。